米FXの大河ドラマ「SHOGUN」は、実は、イギリス(後にアメリカ合衆国に帰化)の小説家、脚本家、映画監督ジェームズ・クラベルの小説が原作となっている。1980年に同じくアメリカで一度ドラマ化されており、テレビを持つ世帯の約33%が視聴したという。日本でも同年、劇場版が公開。翌年にはテレビで連続放送され、大きな話題となったそうだ。
前作では、主人公は船が難破して日本に漂着した按針一人と定められていた。按針の視点が主としたためか、日本人の登場人物の日本語のセリフは字幕で翻訳されなかった。非常に思い切った演出だが、按針の不安、カルチャーショックを、当時のアメリカ人視聴者は疑似体験に近い形で感じたのではないだろうか。
当時は今ほど日本語へのなじみがなかった。新鮮な不可解な響きはセリフというより、むしろリアリティを補強する、効果音に近かかったのではないだろうか。
リメイクとなる今作は、主人公は定まらず、虎永、按針、鞠子などそれぞれの視点、思惑が交錯する。日本と異国。異国から見た日本というmysteriousな異国。
日本語のセリフは字幕で翻訳されている。それぞれの言動、感情を共有する必要があるからだろう。そして、諸外国の人々も日本語へのなじみ、日本の歴史に関する理解も前作放映時より深まっているはずだ。日本語の響きでのmysteriousな演出効果にそこまで期待はできない。
そこで今回は、雅楽、声明、日本の伝統楽器を織り込んだ映像音楽(#soundtrack #visual music)が大きな役割を果たしたのではないだろうか。
主たる登場人物は皆、封建社会、そこに至るまでの重厚な歴史の蓄積、武士の気高い誇りと信念(#samurai spirits)と、人間として当然の混迷する世の中への恐れ、不安、恐怖を感じている。
それらの感情、状況を、ミステリアスな雅楽や日本の伝統音楽の響きを効果的に用い表現した。そして、その響きには日本の悠久の歴史が折り重なっている。
ドラマの舞台、戦国時代にもあった、奏でられてきた音楽だ。
これ以上のリアリティはないのではないだろうか。
多朗さん曰く、「アッティカスたちは雅楽、日本の音楽のミステリアスさに魅かれていた」という。
況や、現代に生きる私たち日本人もミステリアス、さらに神聖な、超自然的な響きを感じている。
いわば、多朗さんもその一人だ。
では、なぜ、国内外問わず現代人は雅楽に「mysterious」「mystical」を感じ、大きな魅力を感じるのだろうか。
1930年代、昭和初期。その魅力を敏感に感じ取った外国人指揮者がいる。
世界屈指のオーケストラ、「フィラデルフィア管弦楽団」(米)などで音楽監督を務めたレオポルド・ストコフスキーだ。彼は、アメリカで演奏された雅楽「越天楽」に感動。原曲に忠実にオーケストラ版に編曲して同管弦楽団の演目に入れ、さらにレコードにもした。
ストコフスキーは「こんな素晴らしい構成の音楽が千年も昔にあったのか」となかなか信じなかったという。
「千年以上、変わらぬ響き」
「完成された響きが千年以上前にあった」
雅楽のルーツを辿る時が来たようだ。
多朗さんがなぜ雅楽に興味を持ち、作曲するまでに至ったか。
そこにも答えがありそうだ。
Written by Atsuko Aoyagi / ao.Inc.
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