ぼくは一度普通の大学に入学をしたあと、どうしても音楽がやりたいと思い、
2つ目の大学として東京藝術大学の音楽学部に入学をしました。
東京藝術大学を卒業したあとプロで活動する多くの人と同じく、
僕は在学中から音楽家としての仕事をはじめました。
そして、そのあと20年ほど作曲家としてのキャリアを積んでから法人化をしました。
ごぞんじの方もいるかと思いますが、名門と言われている東京藝術大学に入学したからといっても、
ほとんどの学生はミュージシャンだけで生計を立てることはできません。
体感としては90%くらいは卒業後に音楽を止めるか、兼業になります。
ほとんどの藝大の音楽学部学生は早ければ2,3歳、
おそくとも中学生には音楽を始めている人がほとんどです。
そんななか、僕は20歳を過ぎてから音楽を始めたかなり異例の存在でした。
音楽を始めた年が遅いというのは、音楽の世界で生き残っていくためには圧倒的な不利な状況です。
そんなぼくがどうして音楽で生活をすることができたのでしょうか。
ぼくは、東京藝術大学の音楽学部に在学をしていたときから音楽の仕事を始めました。
これはたまたま仕事が来たからではなく、意図的に狙っていました。
作曲家や演奏家は、作曲事務所やオーケストラなどに所属をするのでない限りは、「就職」するということがありません。
音楽家は3年生のときから就職活動をすることもなければ、卒業後の保証もありません。
多くの人が社会が設定した「就職」という区切りに沿って行動をするのだと思いますが、
音楽家にはその区切りがありません。
自分でお金を稼ぐ方法を算段し、自分のタイミングでお金を稼ぐことを意識して
行動をしていていく必要があります。
そして、大学生が在学中に仕事をしてはならないというルールがあるわけでもありません。
藝大の中にはどんどん仕事をしろ!という先生も少なくありませんでした。
日々、周囲の藝大生や卒業生を観察しながら考えていました。
学生みんなが音楽を好きなのはあきらかでした。
そして、多くの藝大生は出身地でトップクラスの演奏力や作曲能力があるくらい優秀な人が多い。
なのに、卒業生の9割くらいが卒業後、いつのまにか音楽を止めているのはなぜなんだろう。
この結論はシンプルで、ほとんどの場合が
音楽で生計を立てられないから、です。
ここから導いた結論は
→音楽を一生続けたいなら、音楽で生計を立てることは必須。ということ。
当たり前でしょ、と思われると思いますが、
この当たり前のことが音大や音楽業界にいるとなかなかわからないんです。
②いつから音楽家を自認して仕事をするのか。→今
音楽家には免許がありません。
つまり、音大を卒業しても「作曲家」「音楽家」になったことの証にはならないわけです。
そして、音楽家にはほとんどの場合、就職という概念がありません。
ですので、いざ音大を卒業してから「作曲家になるぞ!」と意気込んでも、仕方がないんです。
卒業してから「ぼくは作曲家です」と言ったところで、
キャリアのない人に作曲を依頼をする人はいません。いたとしても大した仕事しかありません。
また、クライアントは作曲家が途中で逃げることを最もおそれます。
そんなクライアントからしてみたら、「フリーランスの作曲家+経歴なし」に仕事を頼む勇気はなかなかありません。
つまり大学卒業、とかなにかの区切りをまって、満を持して「ぼくは音楽家です」と名乗るのをやめて、
いますぐ音楽家と自認して、小さな仕事でもいいので始めるべきです。
大卒とか、音楽家にとってはまったく意味がない。
それよりも少しでも仕事をしてキャリアを積むことを優先すべきだと思います。
いろいろな学生をみていて、
いわゆる世間の大学のように卒業間近になって就職する、
という意識で動いていた人で専門のプロになった人は一人もいませんでした。
自分の力量が多少疑わしくとも、いますぐ音楽家を自認して、
仕事をやってみることしか道はないと思います。
逆に、学生中は仕事が来やすいです。
卒業後よりも学生中に仕事をするべき。
なぜなら
ことから、クライアントが依頼をしやすい状況、
クライアントからみたら魅力的な要素があるからです。
まとめると
こういったことから、僕は在学中に積極的に仕事をはじめることにしました。
プランはこうです。
①学生中は安くてもいいから、仕事をたくさんする。
②キャリアを積み、技術力も身につける。
③卒業後もそのまま作曲の仕事をつづける。
音大では楽器の稽古や、和声の勉強こそが一番のもの。
音楽をお金に変えることは魂を売る行為!
とまでは言われないけど、
極端にいうとこういう”雰囲気”がただよっていました。
そんななか、ぼくは学生中から仕事ばかりをしていました。
ぼくにとっては稽古や和声も大事だけど、
それ以上に生涯音楽を続けられるかどうかが一番大事なことでした。
そのためには音楽で稼ぐ必要があると考えていたのです。
周囲の風潮とは合いませんでしたが、
「音楽をお金に変えていく」という行為が、ぼくにとっての音楽への愛情だったのです。
今思うと、この感覚がのちのちの法人化にもつながっているように思います。