わたしたちは、これまで一度として
美術や音楽を理解し、コントロールできたことがありません。
芸術の世界は、まるで崇拝の対象です。
いつまでたっても畏敬の念が絶えません。
芸術に降伏しつつ、芸術に立ち向かう日々。
毎回の制作・仕事がじぶんたちへの問いかけ、修行のようです。
“今つくっているものが、
社会にとって、人にとって本当に意味があるものなのか。”
こうした問いが、こころを苦しめる日も少なくありません。
その一方、
美術も音楽も、わたしたちにとっての遊び・なぐさみでもあります。
動物が野原で無邪気に戯れるように制作を楽しむうちに
気付いたら素晴らしい作品ができていた、なんてこともあります。
そんな日のわたしたちは、
ただ楽しくあそんでいるようにみえることでしょう。
晴れの日があれば、嵐の日もあるように
わたしたちは美術と音楽と一緒に、浮き沈みのある生活をしています。
畏敬の念にせよ、あそびにせよ、
わたしたちは毎日、真剣に芸術と向き合っています。
わたしたちは、自分自身に、
ときに根本的な問いかけをします。
学んできたこと、得てきたこと、進んできた道。
それらが本当に正しかったのか。
もともと持っていた知識や技術を捨て、
想像していなかったところにジャンプすることもあります。
それゆえに、わたしたちは
常識的ではない視点で物事を捉えたり、
制作方法を取ることが少なくありません。
そんなときのわたしたちはきっと
滑稽であったり、まぬけに見えることでしょう。
わたしたちは、
この一見滑稽に見えること、常識から外れることを
とても重要だと考えています。
滑稽であったり、間抜けであるのは、
知識や目的を根本から洗い出し、
ものごとを一から考え直している証拠だからです。