こんにちは。石田です。
今日は少しだけ、個人的な取り組みについてお話しします。
実はこのたび、自分のラジオのようなものを始めることにしました。
タイトルは「ラ」といいます。
おそらく多くの方にとって僕は、2024年に公開された『SHOGUN(将軍)』のサウンドトラックで、雅楽や日本の伝統音楽をベースにした音楽をアレンジした人、
という印象が強いかもしれません。あるいは最近だと、「ほぼ日」で雅楽の講座を担当したことで知っていただいた方もいるかもしれません。
今回、こうして「ラ」を始めようと思ったのには理由があります。
それは、2025年の1月と3月に開催したコンサートがきっかけでした。
とても珍しいことだったのですが、そのコンサートでは2時間のうち長い時間を使って、僕自身が話をさせていただきました。
また、「ほぼ日」さんでの講座を含め、最近はさまざまな場所で「話すこと」が増えてきました。
なぜ音楽家である僕が、そこまで「話す」ことに向き合っているのか。
今回はそのことについて触れたいと思います。
きっかけとして大きいのは、SNSの登場です。
X(旧Twitter)、Instagram、YouTubeといったプラットフォームが発展し、
今では多くの人が自分の考えやメッセージを「言葉」で発信できるようになりました。
そうした中で、僕はふと思ったのです。
もともと音楽には、「言葉を伝える」という役割があったのではないかと。
たとえば、ジョン・レノンのようなミュージシャンが“Power to the people”という強いメッセージを歌詞に込め、それを歌として発信し、録音されたものがラジオで世界中に届く。
音楽は、歌詞をのせて言葉を届けるための手段だったとも言えます。
しばらくの間、音楽は「言葉を伝えるためのメディア」として、大きな役割を担っていた。
そして、もちろん今でもそういった側面はあります。
でも、SNSの登場によって、音楽家に限らず誰もがメッセージを言葉で表現できる時代になりました。
YouTubeでは、さまざまな人の考えや思想に自由に触れられる。
受け取る側も、自分の意思で選び、受け取ることができる。
そんな時代になった今、音楽の役割は変化しつつあると感じています。
もちろん、ジョン・レノンのように、音楽に言葉をのせてメッセージを伝えるという表現は今も素晴らしいし、有効です。
ただ、それが「必須」ではなくなってきている。
メッセージがあれば、YouTubeで話せばいい。
Xで文字にすればいい。
そういう手段が増えた今、音楽は、かつて担っていた「言葉の代弁者」という役割から少しずつ自由になってきている気がします。
そのことに気づいたとき、僕は一時期、「音楽の力が弱まってしまったのではないか」とも思いました。
でも、徐々にそうではないと感じ始めています。
むしろ、言葉という制約から解き放たれたことで、音楽はもっと自由になれるのではないかと。
ちょうどその頃、雅楽をはじめ、いろいろな音楽と改めて向き合う機会がありました。
そこで強く感じたのが、「音そのもの」に宿る美学や哲学の力です。
旋律、響き、音色、フォーム(形式)、間。
そういった音楽そのものが持つ形や思想を、メッセージとして伝えることができる。
そんな時代が、これから始まるのではないかと思っています。
音楽は、歌詞を通さずとも語れる。
むしろ、語らないことで伝わるものがある。
そんな表現の可能性に、いま僕はとても惹かれています。
この「ラ」では、そんなことを少しずつ話していきたいと思っています。
音楽と哲学の関係。雅楽や伝統音楽の中にある「音そのものの美しさ」。
音楽がなぜ人の心に届くのか──そういったテーマを、できれば週に一度くらいのペースで、続けていけたらと考えています。
YouTubeの概要欄などに、聞いてみたいテーマを書いていただけたら、今後の話題にも取り入れていけるかもしれません。
さて、今回はここまで。
これから「ラ」でお会いできることを楽しみにしています。
石田でした。ありがとうございました。
ほぼ日さんでの雅楽講座もぜひ、御覧ください。