こんにちは、石田多朗です。
今回のラジオでは、「なぜ雅楽ではタイミングを揃えずに演奏するのか?」というテーマでお話ししました。
https://www.youtube.com/watch?v=X13YIBseCmA&list=PLRSv62cmKV5w042rkREYrPJDgv0U2UarP&index=3
音楽というと、多くの人が思い浮かべるのは
「テンポを揃えること」や「リズムを合わせること」。
そういった“カチッとした”演奏が、音楽の基本だと考えられがちです。
でも、本当にそれがすべての音楽にとって大切なことなのでしょうか?
そして、「リズム感が良い」という言葉も、
その中にどんな価値観が含まれているのか?
今回は、そんな問いから始まりました。
クラシック、ファンク、レゲエ、テクノ、ヒップホップ、R&B…
多くの音楽ジャンルでは、テンポを揃えたり、
メトロノーム(クリック)にぴったり合わせて演奏することが基本とされています。
そのうえで、ずらす美学──
たとえばファンクにおける「ベースとドラムの微妙なズレによるグルーヴ」などが語られることがあります。
でも、その“ズレ”は、あくまでも**「揃えた上でのズレ」**です。
まずは合っていることが前提になっている。
一方、雅楽にはメトロノーム的な感覚がそもそも存在しません。
演奏者同士でタイミングを「ぴったり合わせる」という訓練も、
おそらく行っていないと思います。
そのかわりに、
「ずれながら美しく重なる」ことが、自然に行われている。
「せーのでドン!」と揃える音楽ではなく、
それぞれの音が、それぞれの時間に鳴り、
それらがレイヤーのように折り重なって、全体として流れを生んでいく。
それが雅楽のアンサンブルのあり方なのだと思います。
森の中で耳を澄ませると、
風が吹き、葉が揺れ、鳥が鳴き、カエルが鳴き、雨が落ちて、猪が通る。
それらは決して「せーの」で鳴ってはいません。
でも、不思議と調和している。
揃っていないのに、美しい。
川の流れも同じです。
水の粒はひとつひとつ、自由にバラバラに動いているのに、
全体としては、ちゃんと“川”のかたちを成している。
「ここでテンポが変わります」「ここで一斉に流れます」なんていうことは、自然界には起きない。
雅楽は、そういった“自然の時間感覚”を音楽として表現しているのかもしれません。
では、他の音楽──たとえばクラシックはどうなのか?
「自然を音楽で表現する」という点では、クラシック音楽も雅楽と同じです。
バッハもベートーヴェンも、宇宙や自然を音で描こうとしました。
ただ、西洋において「自然の美しさ」は、秩序や数字によって表現されることが多い。
フィボナッチ数列、黄金比、構造的な美。
バッハの楽譜を分析すると、数学的な秩序が浮かび上がってくることもあります。
一方で日本の美学は、「変化し続けるもの」や「曖昧なもの」の中に美を見出してきました。
自然を、揃えるのではなく、共に在るものとして感じていく。
そのアプローチの違いが、音楽の形にも現れているのかもしれません。
最後に、こんなこともお話ししました。
「自分はリズム感がないんだよね」と言う人がいます。
でも、その“リズム感”って、どのリズム感のことなんでしょう?
メトロノームにぴったり合うタイプのリズムが得意じゃなくても、
日本的な「ゆらぎ」や「間」の中でなら、
しっくりくるという人もきっといます。
もしそうなら、鐘を鳴らしてみるとか、尺八を吹いてみるとか、
何かちょっと日本の音楽に触れてみるのも、悪くないんじゃないかと思っています。
音楽の世界は、もっと広くて、もっと自由であっていい。
揃える音楽もあれば、揃えない音楽もある。
どちらにも、それぞれの美しさがある。
そして、自分のリズム、自分の時間、自分の音を見つけること。
それもまた、音楽の大事な楽しみ方のひとつだと思っています。
📻 今回のラジオはこちら
なぜ雅楽では“ぴったり揃えない”のか?
― “リズム感が良い”という常識を問い直す ―
▶︎ https://www.youtube.com/playlist?list=PLRSv62cmKV5w042rkREYrPJDgv0U2UarP
🎓 雅楽をもっと知りたい方へ
『ほぼ日の学校』雅楽講座(日本語)
▶︎ https://www.youtube.com/watch?v=3eIvVDFeqW4