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【gagaku譚20:重なり志向、重ねの作法と雅楽と、平和】

2025.05.01
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◆雅楽は「レイヤー」

 

以前、

gagaku譚2:なぜ雅楽は「レイヤー」「ミステリアス」なのか】という記事を書いた。

 

「レイヤー」。

音の重なり、音を重ねる。自然、環境音と重ねる。自然と人を重ねる音楽。

衣装にも「襲」の装束がある。

 

平安時代の十二単。

色を重ねて自然、四季を表現し纏う。

自然を纏いたい。自然崇拝。

 

そう雅楽と共通する。

音で、色で自然を纏う。自然を真似たい、一体化したい。

 

 

「重ねる」ことに、日本の文化、美意識、創造、アート感覚の根底にある流れ、美学を感じた。

 

《重ねる》《美学》《日本》

上記のようなワードを打ち込み、ネット検索を試みた。

 

すると、松岡正剛氏の「松岡正剛の千夜千冊」(2013年11月30日)の記事に巡り合う。

 

藤原成一著「かさねの作法―日本文化を読みかえる」(法蔵館2008年)を紹介していた。

※2022年復刊「日本文化をよみかえる 新装版 かさねの作法」

 

 

【本書は、こうした「かさね」が主として日本の文芸にどのように多用されてきたかということを、目次順でいえば(1)くずす・やつす、(2)もじる・もどく、(3)あそぶ・たわける、(4)まねる・うつす、(5)うがつ・からかう、(6)譬える・見立てる、の6講で繙(ひもと)いてみせた。最終講の「かさね」論にいたるまで、執拗に案配解説している。】

 

文芸を軸に「かさねの作法」がいかに活用され、繰り返されていきたのか。その作法、作法の奥底に流れる日本人の思考、美意識。「あそびごころ」が日本文化創出の源流と著書は語っているというではないか。

 

さらに、その記事の中に、

【とくによく知られているのは、「かさね」は早くから王朝文化の「襲」(かさね)の色目として愛用されてきたことだ。色の自他を突き合わせて重ねながらずらしていくことが、独特の日本的色彩をあらわした。十二単(じゅうにひとえ)はその格別なレパートリーだった。

「かさね」は単純ではない。「重ね」であって「襲ね」であり、「ずらし」であって「ちら見せ」なのだ。それは固定的でなく、動的だ。かつ手がこんでいた。色目の「襲」でいえば、平安末期には強装束が出てきて、重ねても下の色が透けなくなってきたのだが、そこで表地の周縁に裏地をのぞかせる「おめり」という手法が工夫された。二色ずらし、三色ずらしの「おめり」が装束になったのだ。】

 

やはり十二単が出てきた。

これは、「かさねる」という作法、方法が雅楽にも貫かれており、千年以上にわたって維持、演奏されてきた所以を紐解くカギでもあることを確信した。

 

 

 

 

◆「かさねの作法」との出合い

 

 

 

早速、藤原成一氏の著書を取り寄せた。

 

藤原氏は、書籍の冒頭で「能と狂言」「神事と直会」などを例に挙げ、

 

〖狂言は能の正統をくずし、観る者を現実に復させました。直会も神事の斎戒をくずし、参加者を日常に復させました。二つはかさねることで、互いを犯すことなく、互いに引き立て合い、かつ、二つかさねることで一つではできない世界を構築し得ました。〗

〖傍流であっても主流に卑下することなく、寄り添い、かさね合わせて、主流を引き立てつつ自らも自立し、主流・傍流を止揚した世界をつくりあげる、これがかさねの思想、作法です。〗

 

〖―(略)― この作法は太古からの祭祀や信仰の世界、文化・芸能の美意識、さらには日常の作法にまで、陰に陽に日本文化を貫流してきました。その最も知られた例がいわゆる『神仏習合』といわれる文化現象、宗教構造です。〗

 

そして、

〖かさねとはどうすることか、その最も目にあざやかな表現が平安時代にほぼ定着した衣装哲学、色彩作法です、『かさねの色目』といわれるものです。〗

 

 

視覚の最たる表現が「かさねの色目」、十二単であるならば、

聴覚の最たる表現が雅楽なのではないだろうか。

 

 

また、「かさねの色目」には花や草といった植物の名が付けられ、季節の移ろいと共に纏う色目も変えていたという。

自然、時の流れとの重なりを楽しんでいたのではないだろうか。

 

 

 

藤原氏は著書の中で、かのようにも語っている。

 

〖繁雑にして繊細なこういう衣装作法を練り上げるには、それを味わい実践するだけの繊細精妙な色彩感覚が共有され、色彩哲学が浸透していることが基本です。こういうかさねの作法に則った装束で人びとが臨む公式の場、儀礼、祭礼の模様を想像してみてください。かさねの色が絹づれ音によって映え、色と音との共鳴するなかに、絹の匂い、染めの香りがほのかに立ちのぼり、空間は色と音と匂いの共演となります。〗

〖空間は重ねのオーケストラ〗になると言うのだ。

 

 

そう、“日本最古のオーケストラ”=雅楽が浮かんだ方も少なくないだろう。

雅楽の演奏空間も音、色、香り、さらに、四季との共演が図られていたことが鮮やかに想像される。

 

 

東儀道子氏著「雅楽の心性・精神性と理想的音空間」にも、雅楽の音が空間とのつながり、共鳴することを平安時代の人々が重んじていたこと。むしろ、“空間(自然)との共鳴(=かさなり)”ありきの演奏であったことが記されている。

 

いずれの著名人も、平安時代の人々の繊細な感覚に驚嘆している。

 

 

 

 

◆『重なり志向」との出合い。「かさね」は平和への鍵

 

 

 

では、なぜ「かさね」が日本人の文化、美学の根底にあるのか。根底となったのか。

 

 

検索、探究を続ける中である論文と出合う。

 

石井隆之氏⦅専門は理論言語学(英語と日本語の文法研究)と英語教育⦆の

「『重なり志向』の日本文化」だ。

 

同論文では、『重なり』という現象が、日本文化の諸側面に見られること、その現象から派生した概念を用いると、更に、日本文化を説明できる点を示し、日本文化の重層性を述べている。

そして、『重なり』を重視する理由にまで言及している。

 

読み進めると、「あ、この『重なり』って雅楽と通ずる」という発見と興奮の波が幾重にも押し寄せた。

さらに、書き添えられた【補遺】で私の脳内にビックウェーブが起きた。

 

「重なり志向は日本を救うと思う」という一節だ。

 

『重なり志向』で現代社会の課題解決ができるのではないか。

また、「七福神の絵に見る神の重なりは、多神教を暗示し、宗教的寛容性を感じさせる。」

 

「これは世界平和につながる可能性を秘めている。」と。

 

私も雅楽に安寧、調和、認め合う寛容性、共存など、世界平和に通ずる思い、思いから生じるセオリー的なものを感じていた。

 

 

石田多朗さんも

「雅楽は自然崇拝を音楽にしたもの」

「人間が自然とコミュニケーションする音楽」

「大変な現代を生きる私たちへ。1400年前の人からのメッセージが込められている」

とその所以について探究している。

 

さらに、

「音楽のフォームや、音楽の美学にメッセージを込めることによって、世の中の人々の意識を変革させていくのが音楽家の仕事だと思います。今、孤軍奮闘していて、仲間もほしいですね」と語っている。

 

 

私は書き手として、仲間に加わり、

「重なり志向」「かさねの作法」を掘り下げ、雅楽に「重ねの美学」をみたいと思う。

 

 

 

松岡氏は冒頭のサイト記事内でこう語っている。

 

【かねてよりぼくは、

日本文化を支えてきた方法には

必ずや「あわせ・かさね・きそい・そろい」が

揃い踏みしていると断言してきた。】

【いささか業を煮やして、今夜を千夜千冊する。

「かさね」のこと、「あわせ・かさね・きそい・そろい」の一連のことについては、ずいぶん以前から「日本という方法」で最も重要な方法だと強調してきたのに、いっこうに理解が深まっていない】

 

 

 

「日本という方法」が先にあったのか、雅楽が先か。

 

そんなことも頭に浮かび、ワクワクしている。

 

 

 

皆さんも、「雅楽と『重なり』」について、雅楽に込められたメッセージについて探りにいってみませんか。

 

 

 

 

 

Written by Atsuko Aoyagi / ao.Inc.

 

 

 

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