2022年12月20日那須みふじ幼稚園にて雅楽コンサートを行いました。わたしたちは公演に出演をしただけではなく、企画、会場の設定、集客、などいろいろなことを行っています。
今回の公演の直前まで、黒磯にあるsalonChiuneさんで雅楽展を開催していました。
その展示にお越しになった方には、雅楽やわたしたちが考えていることを「ことば」で説明をしました。
すごく当たり前のことなのですが、「ことば」で説明をすると、
お客さんからは「ことば」で返事があったり、質問をされたり、
お客さん自身のお話をしてくださったりしました。
「ことば」で言ったら「ことば」で返ってくる。
こちらが「音」や「絵」を伝えたあとに「ことば」が返ってくることも稀にありますがありますが、
その頻度は「ことば」同士の比ではないし、たまにある「ことば」もそのほとんどが感想であって、
その人が何を考えているのか、までが返ってくることはほとんどありません。
わたし(たち)は音楽や美術をながい間やってきたなかで、この当たり前のことがわかっていませんでした。
わたしたちが音楽や美術を作って発表をする、
あとは受け取る人にすべておまかせ。
このこと自体は決して悪いことではありません。
ただ、これだけだとただの一方通行のベクトルになっているのではないか、
聴いてくれる人、見てくれる人との交流にはならないんじゃないか、
そんな疑問が起こってきました。
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スーパースターは多くの人の注目を集めます。
当然ながら彼らはファン全員と向き合うことはできません。
そのスーパースターのあり方が音楽や美術の世界でも基準となっています。
つまり、音楽家やアーティストは一方的に見られるもの、
または、一方的に見られるものを目指すべき、
お客さんと前向きに関わろうとするのは売れる前の下積み、
という風潮が根強くあります。
結論から言うと、
スターを目指す人以外にとってはこれは完全に間違いです。
スーパースターではないし、なりたいとも思っていない。
なのに、一方的に見られる存在を目指す。
これって、正しいことなのでしょうか。
自分には自分のやり方があるはずです。
ミュージシャンやアーティストは一見、自由な発想で生きているようにみえつつも、
業界全体としてはかなり頭が固く、柔軟性がありません。
音楽家は普通はこう、アーティストは普通はこう。
かなりステレオタイプ化してるのが現状です。
みんなが同じ方向を向いて音楽家・アーティストをやる必要はないし、
もうそういう時代ではありません。
自分のアートフォーム、表現方法は
自分で考えて、カスタマイズしないとダメです。
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わたしはスーパースターではないし、目指してもいません。
なら、じぶんなりのやり方があるはず。
いったん、コンサートにおける常識を疑い、
じぶんにとって大事なものをあらためて見つめてみる。
今回のコンサートは、コンサートではありつつも「ことば」を大事にしました。
そして、できれば、お越しになったお客さんにも「ことば」を発していただき、
一緒に場を作ること、本当の意味での交流(ちょっとしたものではありますが)を生み出したい。
そういった体験がわたしたちはもちろん、お客さんにとっても
その後の人生に少しでも良い影響となりうるのではないか、と考えました。
自分がコンサートに関わるときには、「ことば」が大事なのかも、
とちょっとつかめてきた気がします。
お客さん一人ひとりが貴重な時間やお金を使ってコンサートに来てくれました。
本当に有り難いです。
なにか少しでも良いものを持って返っていただけていたらいいのですが・・
今後も考えつつ、やっていきます。