皆さんは、人工知能(AI)と芸術の関係について考えたことがあるでしょうか。
今回はこのテーマについて、いま考えていることを書いてみます。
AIもLLM(ChatGPTなど)はいま、基本的には人間の希望や目標を叶えること、
つまりは人間の認識の範疇で結果を出すために使われています。
しかし、対する芸術は「人間の認知できない世界」を重視し、「人間の認知とは離れた」部分にコアがあることが多い存在です。
多くの人々は「良い」と感じるものを作ろうとしますが、このスタンスは万能ではありません。
これだけだと大事なものをとりこぼして人類の芸術的な表現の範囲を限定してしまう可能性があります。
それがどういうことか、映画を例に説明します。
初見では意味がわからなかった映画を
数十年後に見てみたら理解出来たということはよくありますが、
これは個人に限った話ではなく、
人類全体でも起きえますし、実際にこれまでも起きてきました。
芸術はしばしば、意図を超えた直感から生まれます。
その成果がすぐに明確な価値を持たないかもしれませんが、
これらの直感的な試みが新たな芸術的価値を創造する可能性を秘めています。
アニメーション監督の宮崎駿が自身の作品「君たちはどう生きるか」について
「自分でも何を作っているのかわからなかった」という趣旨のことを語ったそうですが、
この「自分でも意味はわからないけど」作ってしまったという感覚が
AIアートに入ってくると、新たな価値が生まれるかもしれません。
アンビエント・ミュージックがブライアン・イーノが入院中に聴いていたラジカセが壊れて、
音がまともにでなくなったことがきっかけで生まれたこと、
ピカソが人気作家になってもあえてどんどん主流から外れていく様、などなど
枚挙にいとまがありませんが、基本的には芸術は、「ほころび」から生まれてきます。
いまは人の意識の範疇でいかにコントロールするか、という話がメインになっている
AIやLLM(ChatGPTなど)を、このほころびにつっこんでものを作るとどういうことが起きるのか、
試してみたいと考えています。
どれだけ意図的にAIなどをコントロールできるか、ではなく、
如何に自分が想像できないところに自分を持っていってくれるのか、という視点で使ってみるということです。
この野蛮な感覚、人間の認知という秩序から逸脱をしたAIの使い方、
アートのあり方を、多くの人が実は欲しているのではないでしょうか。
2023年7月23日 石田多朗